Krakow - Auschwitz,Birkenauへ

 日本人の友だちと2人でクラクフと言うポーランド南部の都市へ行ってきた。17世紀にワルシャワに遷都されるまではポーランド王国の首都だったそう。今回の旅の一番の目的は、アウシュビッツを訪れること。夫はお留守番です。
 22:08に寝台列車でウィーンのWestbahnhof駅を出発。止まったり揺れたりする度に目が覚めるけれど、2人で1室のコンパートメントは思っていたよりも快適。乗員の男性は親切で、英語を話してくれたけれど、かなり発音に癖があった。翌朝7時を少し過ぎてクラクフ駅に到着。予定より約40分の遅れ。予想はしていたけれど、とにかく寒い。ひとまず荷物を預けるため、予約していたB&B Tango Houseへ向かう。フレンドリーな女性が出迎えてくれて、幸運にもすぐにチェックインできた。そこでオフィシエンチムOswiecim(アウシュビッツ)行きのバスの時刻などを教えてもらう。建物自体はかなり古いが、室内はきれいに改装されており、1泊1人あたり20€とは思えないほど清潔で快適。BGMはタンゴ。
 クラクフ駅に隣接するバスターミナルで片道10ズウォッティ(2.5€くらい)を運転手さんに払って、アウシュビッツ行きのバスに乗り込む。1時間40分ほど雪道を走ってアウシュビッツ第一強制収容所に到着。

 昨年末盗まれ、3つに割れて発見されたと言う正門。http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100212/erp1002120743001-n1.htm 現在修復中のため、これは模造品らしい。ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)と言う文字をどんな気持ちで見つめながら、収容者はこの門をくぐったんだろうか。この第一収容所は28棟の建物と厨房、管理棟から成る。棟内は写真撮影禁止。収容所の室内を再現した部屋や、実際に使われていた立ち牢、到着の際撮影された囚人の写真が展示されていた。第10棟と11棟の間の中庭にある死の壁。ここで死刑の判決を受けた囚人たちの銃殺が行われていた。

収容者の所持品であった義足、眼鏡、ブラシ、トランク、靴、毛髪なども一所に大量に展示されていた。かつては持っていたであろう一つ一つの個性を削ぎ落とされた所持品の山。その圧倒的な量と数がじわじわと滲みこむように迫ってくる。

 無料のバスに乗って第2収容所ブジェジンカBrezezinka(ビルケナウ)へ。こちらはまず着いてすぐにその敷地の広大さに驚いた。175ha(東京ドーム約37個分)の敷地に、300棟以上のバラックがあったそうだ。木造のもの、レンガ造りのもの、破壊されて煙突だけになっている建物の残骸がずらりと並んでいる。

 当時の状態で残るバラックの中にも入ることができた。第一収容所の再現されたものと違って、中に入るのが躊躇われるくらい本当に怖かった。



 冬季は15時に閉館のため、残念なことに第二収容所はすべての施設を見ることはできなかった。それでも第一、第二収容所と併せて計5時間弱。接続の悪いバスを震えながら50分も待って、ようやくクラクフ市街へ。食事をして20時前にはホテルへ。泥のように眠る。